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私なりの1,16 2005/1/16
また1月17日がやってきます。阪神淡路大震災から今年で10年になります。七草粥を食べたあたりから、毎年この時期になるとTVが騒がしくなります。もう見たくない当時の映像が洪水のように流れ、嫌でもあの地震の記憶が蘇ります。
20050116152007.jpg

でも何故か私が強く思い出すのは、1月16日のことです。つまり、地震の前日――三連休の最終日、快晴、夫はゴルフに出かけていて留守でした。
地震が起こった当時、私は神戸市某区のT町というところに住んでいました。自宅は駅から北へ10分ほどゆるい坂を登ったところにある、高台のメゾネットハウス。

ゴルフに出かける夫を送り出し、いつものように掃除をし洗濯をしました。ふと時計を見るとお昼でした。買い物がてら、パン屋さんへ行って菓子パンでも買おうと、まだ赤ん坊だった息子をベビーカーに乗せて出かけることにしました。

そのパン屋さんは駅の商店街から少し離れた場所にありました。狭い路地の中でひっそりとお店を開いていました。白い外壁に黄色いテントが印象的な、調理場を入れても5坪にも満たない小さなお店でした。その小さなパン屋さんは、50代くらいの小柄なおばちゃんが一人で切り盛りしていました。

「うちのパンはなぁ、添加物を一切使ってへんから子供にも安心して食べさせられるでぇ。でも日持ちせぇへんから二日で食べきるか、食べ残ったら冷凍庫で保存してや」

初めて食パンを買った時、おばちゃんはそう言いました。おばちゃんのパンはとても優しい味がしました。よく噛むと、舌の上にミルクとバターの香りが残るのです。「おいしいパンやなぁ~」と夫も気に入り、以来、ずっとそのパン屋さんでパンを買うことにしていました。

「おばちゃん、食パンあるぅ?」
「ああ、またあんたかぁ。あるで~。棚にあるのは朝のやつやから、こっちの焼きたて持っていきぃ」
オーブンからおばちゃんが焼きたての食パンを出してきてくれました。私は昼食用に菓子パンをいくつかトレーに乗せ、レジに行きました。
「僕、また大きゅうなったなぁ」
おばちゃんのふくよかな手が息子の頭に落ちてきました。息子が、きゃっと笑ました。それから私とおばちゃんは少しだけ世間話をし、そしていつものようにおばちゃんは
「これ、僕にな」
と、小さな菓子パンをおまけでくれました。アンパンマンのパンでした。
「ありがとう、おばちゃん」
入口に向かいながら息子が振り返ってバイバイと手をふりました。その息子と私に向かっておばちゃんが言いました。

「またなぁ――」

パン屋さんから出ると、私はまっすぐ自宅に戻らずに、自宅前の坂を登りきったところにある丘に行ってみようと思い立ちました。
丘からは神戸の町ときらきらと輝く海と、春霞の淡路島が一望できました。空は雲一つない青空。息子はベビーカーの中で眠っていました。1月だというのにとても暖かく、私はコートを脱いで、うーんと思い切り深呼吸をしました。私はその丘からの眺めが大好きでした。丘から眺める神戸の町が大好きでした。

私たちは無意識のうちに、今日と変わらない明日が来ると思っています。実際、かなりの確率で今日と変わらない明日が来るのですからそう思っても仕方がないのかもしれません。あの日も――1995年1月16日もそうでした。

地震のことは正直、よく覚えていません。幸い家族に怪我もなく、自宅も無事でした。でもライフラインが寸断されてしまい生活が出来なくなりました。そのため3ヶ月ほど夫の実家に身を寄せることになりました。

3ヶ月後ようやく自宅に戻り、片付けも一段落した頃、私はあのパン屋さんに行ってみようと思いました。おばちゃんのパン屋さんは無事だろうか、元気なおばちゃんだから、ひょっとしたらもう営業をしているかもしれない――などと思って。

お店は無事でしたが営業はしていませんでした。地震で店のガラスが割れたのかベニヤ板で補強されていました。外壁も一部亀裂が入っていました。店の入口になにやら張り紙がしてあります。張られてから何日もたっているのか風雨にさらされたように字が滲んでいました。

店の再開はいつなんだろう――張り紙を読みながら私の背中に冷たい汗が流れました。

おばちゃんは死んでしまっていました。張り紙には店主が震災で亡くなったので店を閉店します――というような内容が書かれてありました。

恥ずかしいことに私はおばちゃんの名前を知りませんでした。自宅は店とは別なところにある、ということを聞いた記憶もあるのですが、それがどこなのか知りません。おばちゃんがどこで亡くなったのか、自宅なのかそれとも店なのかそれすら分かりません。

私はその場にへなへなと座り込みました。
「うちのパンはなぁ、添加物を一切使ってへんねん」
「僕、また大きゅうなったなぁ」
「これ、僕にな」
「またなぁ――」
おばちゃんの言葉が次々と蘇ってきて、いつのまにか私は泣いていました。
「またなぁ――」
そう言ったではないか。嘘つき、嘘つき、嘘つき――。また、おばちゃんのパンが食べたかったのに。あの優しい味のパンを食べたら、元気になれると思ったのに――。
「地震、怖かったなぁ。あんたのとこは大丈夫やったん?」
そんな会話をまたするはずだったのです。

あれから10年が経ちますが、私の中の時間の一部は止まったままです。TVの震災特集では、地震の被害に遭いながらも懸命に復興した人たちばかりが出てきます。私にはそんな人たちは眩しすぎて見られません。

どうして人は前へ前へ進もうとするのでしょうか。止まって歩けないことがそんなにいけないことなのでしょうか。前へ進んで見えることがあるなら、止まって見えることもあるのではないかと思います。

おばちゃんのパン屋さんは、今はもうありません。震災後の開発の波にのまれて店は取り壊され、更地になった後には駅ビルが建ちました。

いつもこのブログを読んでくださっているあなた。
あるいはたまたま目にして読んでくださったあなた。

最後までおばちゃんの話を聞いてれてありがとう。占い――なんてキーワードのブログをご覧になるくらいですから、何かしら悩みを持っているのかもしれません。あるいは、癒しようのない哀しみを抱えているのかもしれません。

でも、がんばらないで。人は「早く忘れろ、前へ進め」と言うかもしれませんが、無理をして前に進む必要はないと思います。歩けないなら歩かなくていいんです。

心の一部が1月16日で止まっていても、ほら、こうやって生きていますもの。

なんでもない日常が、実はすごいことなんだと――そんな風に感じる1月16日の私です。

震災で犠牲になられた方々に黙祷――

*すいません、今回は風水ネタはなしです。
どーもこの時期はナーバスになってどうしようもないです。次回からは元気なゆりりんを復活させますので、よろしく。
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